キャンディーズから 「暑中見舞い」 です。
2006年 07月 25日
今、読んでいる「歌謡曲・名曲名盤ガイド 1970年代」から、
キャンディーズの「暑中お見舞い申し上げます」(1977年6月)の
アルバム写真です。
ついでに、その本の中で「キャンディーズ」について書かれた文章が、
とても要領が良かったので、すべてを書き写しました。ああ、しんど。(^。^;)
ジャパニーズ・ガール・グループの金字塔
キャンディーズの魅力は、ナマモノの魅力だ。
ラン、スー、ミキの3人がアイドルたちのなかで、それぞれ飛び抜けて可愛いわけでも、飛び抜けてスタイルが良いわけでも、飛び抜けて歌がうまいわけでもなかった。個人として突出した存在ではないことは確かだ。
もしそうだったら、ソロのアイドルとしてデビューしていたはずだから。でも、彼女たちは成功した。
確かにキャンディーズはテレビの申し子だった。デビューのきっかけはNHKの「歌謡グランドショー」のアシスタントだったし、その後もTBS系「8時だよ!全員集合」、NHKの「レッツゴー・ヤング」などのレギュラーでアシスタントをこなし、NET系「見ごろ食べころ笑いごろ」では、コメディエンヌとして魅力を開花させた。
しかし、それだけでは、テレビ向きの器用なアイドルだけで終わり、後楽園スタジアムに5万人を集めたラストコンサートをひらくことはできなかっただろう。
あの高揚を支えていたのは、キャンディーズのライブアクトにあった。
デビュー直後から銀座のメッツで月1回のライブをはじめ、積極的にライブを展開。途中からは、渡辺茂樹率いるMMPがバッキングをつとめ、ティナ・ターナーばりの「ブラウド・メアリー」やスティヴィー・ワンダーの「サー・デューク」を先取りするチャレンジなど、パワフルなステージを展開した。
ライブにおけるクオリティが、ファンをつかみ、それがレコード制作にはね返って、ヒット曲が生まれる。もちろん、レコード制作でのキャンディーズのヴォーカルも格段に進歩し、音楽性も高くなってくる、もっとも理想的なファンとの関係を築いていったのだ。
確かにそれは、全キャン連というファンクラブを組織したマネジャー大里洋吉(現アミューズ会長)の力がなかったらなしえなかったことかもしれない。
しかし、仮にそれが仕掛けられたものであるにせよ、ファンと一体になり、解散をイベント化して、シングル、アルバムをチャートの1位にしてしまったあのパワー、それはアイドルにとって幸せの瞬間だったのに違いない。
だから「普通の女の子に戻りたい」という有名な言葉が、日比谷野音ライブのステージ上で発せられたのも、自然のことだったのだろう。
by eno_san
| 2006-07-25 23:59
| ★おしゃれに街へ